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神奈川県秦野市東田原1018-2にある、源実朝公御首塚(みなもとのさねともこうみしるしづか)です。 秦野市指定重要文化財です。 駐車場は、すぐ横にある田原ふるさと公園のを使用すればよいと思います。 若くして非業の最期を遂げた征夷大将軍、源実朝公の御首塚である。 実朝は鎌倉幕府を開いた源頼朝の子で建仁3年2月7日に3代将軍になった人物で、歌人としても名が高く、その私家集に「金塊(きんかい)和歌集」がある。 承久元年(1219)正月27日、右大臣拝賀の帰りに、鶴岡八幡宮の社頭で2代将軍頼家の子、公暁(くぎょう)のために討たれた。 その御首(みしるし)は行方不明になったが、三浦義村の家臣、武常晴(つねはる)が拾い上げ、波多野氏を頼ってこの地に葬ったと地元では伝えている。右手の五輪塔がその御首塚である。 武氏は当時、三浦郡武村(現在の横須賀市武山)の領主で、後に当地寺山に移り住んだと言われる。 当家に伝わる系図では、実朝の御首を探し求めていた武常晴が、偶然に当地で御首を発見し、この地に埋葬したと記している。 波多野忠綱は、実朝の菩提を弔うため、33回忌に退耕行勇(たいこうぎょうゆう)を招き金剛寺を建立した。同寺には実朝公の木像、念持仏などが保存されている。 句碑の和歌は「金塊(きんかい)和歌集」に載せられた実朝の一首であり、佐佐木信綱(のぶつな)の筆によるものである。 「ものいはぬ四方(よも)のけだものすだらにもあはれなるかなや親の子をおもふ」 石碑の除幕式に信綱は次の献歌をされた。 「さがみ野やはだのの里にみたまやどりこの里の幸守りいまさむ」 |
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